ぶつぶつ・・・

コロナの影響で本当に多くのことが可視化されていく。そのほとんどは以前から予兆があったものばかり。

 

オリンピックは延期になったけれど、武漢以来ずっと国家トップのオリンピックをやっているようなものであって、その「差」が白昼にされされる。対策内容云々は正直よくわからないけど、メルケル首相の国民に対して語りかける言葉には本当に感銘を受けた。

 

回復後のボリス・ジョンソンは演説の中で医療従事者への感謝、生活必需品販売レジスタッフへの感謝を言葉にした。もちろん原稿を読まずに。「普段はあまり感謝をしないが」と正直に付け加えるところも、不覚にもおもわず好感を持ってしまった。

 

メルケルは、「国民の自由は歴史の中で勝ち取ったものであって侵害されるべきものではない、ということを重々理解はしているが、いまはどうか国民の命を救うために不可欠であるから協力してください」と語りかけた。こういう国家というフィクションを国民がしっかりとリアリティを以て共有していることは、いくら背景が違うといっても正直うらやましい。

 

「私たちは好意を身体的な近さやスキンシップとして理解しているが、しかし今はその逆が正しいのです。『今は距離だけが思いやりの表現なのです』」

 

これもメルケル首相が語った感動的な言葉。もちろん原稿を読まずに。そもそも「好意を身体的な近さやスキンシップとして理解」していない日本では出るはずの言葉ではあるけれど、こういうことを自分の言葉で国民に対して語れるトップはかっこいい、ほんとうに。

 

アメリカはウォーキングデッド、コンダジオン、アウトブレイク、地球最後の日など(ゾンビものなど数えだすと無数にある)パンデミック映画の宝庫で、あれは「こういうことって、あるよ」という繰り返しのアナウンスであって、本当に起こった時の恐怖感のリアリティは日本のそれとは違うはず。

 

韓国も北朝鮮からの生物兵器での侵攻につねに「臨戦態勢」だから、まさかそんなことは起こりえないと思っている日本との対応の質に雲泥の差がでた。それが良い悪いの問題ではなく、それが厳然たる事実。無理に 良いように言えば、それだけ日本が平和(だと思えている)ということ。

 

さて、今さら言うことでもないけれど、我々のトップの愚鈍さはいくら何でもご周知のとおり。NHKも戦中の大本営発表装置と化してこの暗黒国家に加担している罪は重いけれど、それだけを見て「よくやっている」と信じ込んでしまう情報リテラシー・・・、というより民度そのものの低さ。

 

司法もメディアも立法も形骸化。コロナを中小企業の殲滅に絶好のチャンスと捉え、これから頑張ろうと志す若い芽もその意欲を削がれ、均質化された工場製品人間が増えればそれが経済合理的である、と。それで別にいいじゃんと本気で思えちゃう人達が船の舵をきっている。だってその船の上空にはせっせと逃げるためのヘリがちゃんと用意されているんだから。

 

偉そうに言えないけれど、それでも目の前にあるゴミを一つ一つ拾い上げることから始めようと思って塾を開いた。今はボランティア以上にコストがかかる赤字運営でも、人をつなぐという行いを通じて得られる幸せそれのみを希望に今やれている。

 

こういう方向に向かって僕の100倍考えて行っている人はたくさんいる。そしてそのほとんどは僕と同様、お上なんてこれっぽっちもあてにしていないお上は今も昔も一億玉砕が一夜で180度ひっくり返る。「おかしいじゃないですか!」といって証拠を突きつけても、「それで?」とくる。

 

それはこの国の宿痾なので誰がお上になっても同じなような気がする。というか民主国家は民が自分で国を形作るから民主国家であって、今はとてもじゃないけれど日本を民主国家とは呼べない。メルケル首相が言うような民主は「俺たち私たちが血を流して勝ち取った」ものであって、自分の一挙手一投足がこの国を変え、その責任が自分にあるという意識のこと。

 

表面上は近代国家になっているけれど中身は野生そのもの。それは言霊に依存して危機管対策をしないという一点をとっても歴然☟

 

「ウイルスが蔓延して日本が崩壊するかもよ」
「ばかっ、そんな縁起でもないこと言うんじゃない!」

 

 

じゃあどうすればいいかというと、お上なんか放っておいて民同士で助け合う。横のつながりを持って団結する。これしかない。孤立せずに仲間を作る。

 

ポストコロナにはこういう方向に向くはずだし、もし向かなければえらいことだ。食料自給ひとつとってもヨーロッパではもう輸出制限が始まってるし、グローバリズムで世界の過剰流動性があると危機的状況で防火壁がない!ということにもなるから、これからは逆方向のローカリズムに向かうしかない。もちろん双方のバランスも必要。

 

経済合理性で全ての領域においてあそびの部分を徹底的に「無駄」の一言でぶった切ってどんどん切り詰めた結果、危機的状況で玉砕(日本は玉砕が好きですね)になってしまう。たとえば感染症の専門医は平時には「無駄な存在」とされ、危機的状況では「必須な存在」に都合よくされるけれど、危機的な時だけお呼びがかかっても普段から準備も何もしていないんだから(いや、させてくれないんだから)病床数も全く足りなくてあたふたするのは当然。

 

なんでもかんでも株式会社みたいにすれば合理的に管理できていいじゃん的な思考停止はごく一部の人だけにして頂いて、常識的な国民は手を取り合って地域ごとに団結するしかない。その為に僕のちいさな脳みそで考えられることは出来るだけ行動に移す。けれどもなにが正解なのか正直わからない。

 

こういう危機的状況でも「わからないことはわからない」と言えるのは立派な知性だと思う。ただそれをこの国のトップはしない。マスクもきっと配る。もし止めたら間違いを認めることになるから。「ごめんなさい、やっぱあれなしで。よくよく考えたらおバカなアイデアでした、てへっ」とはっきり言ってくれればいいのに。

 

土地々々で団結。これしかない。違うかな?いや。これしかない。

 

ああ、ほどよく貧乏な日本に生まれたかった・・・

 

と言って現実離れしている時間はない。

 

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