私はできない

今日は僕が英語を教えるようになって以来ずっと気になっていることをひとつ・・・。

「私(英語が)全然できないんです」


生徒から口々に聞く言葉です。

生まれてから一度も英語に触れたことのない人であればまだしも、英会話を一年もしくは数年続けてきたにもかかわらず、しかも現に英会話もちゃんと出来ているにもかかわらずです。そりゃただの謙遜だろうと思われるかもしれませんが、僕には全くそう聞こえません。

「私は~ができない」という発言はそのまま「自分の限界に関する自己評価」を意味します。前の「現実」の話同様、「限界」という言葉はあっても実際そんなものは存在しません。限界はその人が勝手に自分に対して「私にはできっこない」と言って決めるものです。始めっからありゃしません、「限界」なんて。

仮にも塾長の僕が「あなたにはできます」と言ったとき、塾生がすかさず「いえ、できません」と即答した場合(それが謙遜だと思っていても)、それはつまり「私の自己評価の方が、あなたの客観的評価に勝っている」と宣言したも同然だということです。ほんとですよ。

まさかと思われるかもしれませんが、無意識にしているのであれば尚更のことです。自分の目の方が他人の目よりずっと正確だという確信がない限り、そんな発言ができるはずないんです。「私全然ダメなんです」という発言をこれでもかと言うほど繰り返して結局英語を辞めてしまった人がいましたが、それは一見謙遜しているように見えて、自己評価の正確性を過大評価しているにすぎません。一言で言えば「うぬぼれ」です。

会社の社員が「なんでこれだけの仕事をやってこれだけしか評価されないんだ」とボヤいているのもその理路は同じです。自己評価が他人に下される評価より正確であるという幻想を持っているからです。なぜ幻想なのかと言えばそもそも「評価」というのは外部が下すものであって本人が下すものではないからです。

主観では決して見えないものを客観的に見ること、それが評価です。だから本来「あなた、英会話上手いですよ」と言われたら「へー、そうだったんですか」が自然な反応であるはずです。

先生「あなたは英語がちゃんと話せてます」

生徒「いや、全然ですよ」(いや、あんたの評価なんて当てにならない。私の自己評価の方がまだ正確だよ)

そんなことは思ってないと凄む気持ちはわかりますが、意識してないからこそ厄介なわけです。しかし頑なに「できません」と言う人は、左様にして自己評価が正確であるということを信じて止まず、あるはずのない限界を幻想的に作って閉じこもっているという現象が起こります。これが「『できない』と言う人は本当にできない」という自己暗示の呪いの正体です。

逆に自己を過大評価する人もたまにいますが、これも成長が止まるという意味では同様に害毒です。別にこれらは僕の破壊的で独創的な意見ではありません。とうの昔に僕の師が仰ったことです。

「ブレークスルー(限界突破)とは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということです。それが自分自身で設定した限界を取り外すということです。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることです

僕が塾生や学生に「できる」と言う時は、お世辞でも何でもなく「本気で」できると思っている時です。お世辞の時はちゃんと「お世辞ですよ」と付け足します。逆に僕が「この人はできない」と最も思う瞬間は、その人が自分で「できない」と豪語する時です。心当たりのある人は限界という幻想を取っ払って、自己評価よりも外部評価を信じて下さいね。

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